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【11/6追記】佐々木蔵之介主演、シルヴィウ・プルカレーテ演出の「リチャード三世」の感想

佐々木蔵之介主演、シルヴィウ・プルカレーテ演出の「リチャード三世」を観劇しました!という感想。感想というよりはおぼえ書きです。観劇初心者です。特にまとめもせずに思いのままに書いています。

 

東京10月18日、21日(MS)、22日、28日(S)、29日、30日の公演を観ました。

大阪11月4日(MS)、5日も観るので、後で追記するかもしれません。

 

※11/4に間違えていたところを少し修正してます。(袋を手渡す所)

 ※11/6の追記分は一番最後です。

 

 

幕が上がると、顔を白塗りにして白シャツと黒ズボンを身につけ、シャンパンのグラスを片手に持った男達が、ドラッグパーティーみたいに爛れた雰囲気で踊っています。緑がかった人工的な照明が白塗りの顔を照らし、ホーンセクションの生音によるアッパーなジャズで踊る男達(子供達も)はどこか人形のように見えました。

ハンドマイクを持って歌いながら登場する蔵之介さん、スタイルがとても良いですね。

(山中さんがめちゃくちゃ激しく踊っていたり、子供達と仲よさそうにしている八十田さんとか、口の中が黒い今井さんがシャボン玉に絡んだりしながらフラフラしていたりでなんだか華やかな雰囲気でした)

高い天井から垂れ下がった、城壁に血痕がへばり付いたような、長い長い幕に囲まれた彼らを照らす緑の光は、濁った水の中みたいにも見えてとても幻想的です。

酒、享楽的な踊り、シャボン玉、ジャズ、笑い声、時折不穏な金属音。なんだかドラッグキメキメなTDLのショーみたいだなと思った所に、まだ何者でもない(役になっていない)佐々木蔵之介がリチャード三世の冒頭の台詞を言います。

グロスタの台詞を笑いながら言う蔵之介さん、やっぱりセクシーで美しい人だなぁ!リチャード三世って不具の怪物みたいなイメージだったので、美しいままの蔵之介さんなのが、意外だなと思いました。

蔵之介さんが揶揄うような口調、身振りでグロスタの台詞を言うたびに、舞台上の男達は下卑た表情と声で笑います。(今井さんの下品な風情、とても良かったです!ステキでした)

人形じみたビジュアルの人達が舞台上で下品にゲラゲラと笑っている様子、この悪い夢のような雰囲気って、アングラ演劇の事はよく知らないけれどすごく昔に観たアングラ?サブカル?的なミニシアター系の映画の事を少しだけ思い出しました。綺麗なようで、グロテスク。グロテスクなようで、どこか綺麗な、難解なようでいて直感的に理解できるような。

ピエロのカツラと鼻をつけて道化「グロスタ」となった佐々木蔵之介が、クラレンス公役の長谷川さんに向かって戯曲の言葉で話しかけます。「これは遊びなんだ!」と巫山戯ながら。(鞄の中から杖や袋、白いテープ(ごめんなさい、ここちょっとウロ覚えです)をそれぞれ出してケイツビーとラトクリフに手渡します)

グロスタに役を振られた長谷川クラレンスは、戸惑いつつ、言葉をつまらせつつも、グロスタの遊びに付き合って、台詞の応酬を始めます。

下卑た笑いがわきおこるパーティーでの一幕に見える、劇中劇のようなスタートです。これから凄惨な戯曲が上演されるのに相応しい舞台を整えているという、メタ的表現なのでしょうか。

悪ふざけの延長で手錠をかけられ、ビニール袋に入れられてゴミのようにテープで巻かれた長谷川クラレンスは、宴会の余興のようなノリで男達に担がれて「ロンドン塔の牢獄」へと退場します。

クラレンスを見送ったグロスタは、ひどくセクシーな声でこう言います。

「おれはあんたを深く愛している。だからあんたの魂をじきに天国へ送ってやるよ」

紛れもなくシェイクスピア先生の戯曲の中の台詞ですが、私としてはワクワク感が増した場面でした。この友愛という欺瞞に満ちた言葉を吐くバカ騒ぎのシーンは、ヴィランとして名を馳せた佐々木蔵之介さんがとても魅力的に見えました。セクシーな声色の、クールで、冷たい血の男っていう感じがします。

観劇した後に、木下順二先生約の本を読んでみたのですが、このリチャード三世は原作の言葉を沢山端折ったり組み替えているけれど基本的に大きく改変したりはしていないのですね。前衛的な雰囲気なので戯曲の内容も沢山変更しているのかなと勘違いしてしまっていました。

馬鹿騒ぎしながら男達が去り、舞台上に残ったグロスタの長い長い脚に、ケイツビーとラトクリフが跪いて腕を絡めます。蔵之介さんにからみつく、白塗りの顔で濃いアイメイクをした河内さんと浜田さんがとてもとても美しくて官能的でうっとりしてしまいました。この劇中では部外者である代書人から台本を受け取ったグロスタは、本を読みながら、己の足下に跪くラトクリフの頭を、あの長くて綺麗な指で、まるで犬にするそれのように優しく撫でます。彼ら二人はまるで犬だと言うかのように。権力の犬の象徴なのでしょうか。

やがて犬たちが寝そべると、先ほど馬鹿騒ぎしていた男達が黒い帽子をかぶり、椅子を手に持ち隊列を組んで登場します。一緒に行った方が「マグリットの絵のよう」と言っていたように、とても絵画的なレイアウトです。王子エドワードの死を悼む葬列のようにも見えます。男達は椅子に座って、亡き夫、ランカスター家の王子エドワードの死体を乗せた台車を押しつつ、未亡人アンが登場します。

女優みたいなサングラス、ストール、ハンドバッグ、真っ赤な口紅、白い肌のアンこと手塚とおるさん、とてもお美しいです。細くて長い手足がなまめかしくて、若くて可憐な娘のように見えなくもなかったです。

彼女は芝居がかった口調で夫の死を嘆き悲しみます。まだ、先ほどのパーティーとリチャード三世という戯曲の境目が曖昧で、登場人物達が戯曲の中に入りきっていない雰囲気を作っていました。死体であるはずのエドワードは笑ったり動いたりするし、嘆き悲しんでいるはずのアンは時折ふざけて笑うし、彼女たちの背後に一列に座ったマグリットの絵のような男達も先ほどと同じように下卑た笑いで囃し立てているからです。

嘆き悲しむアンの前に、グロスタが登場します。首にコルセット、胴体にもベージュのコルセット、丸いサングラス(ハイローのロッキーみたい!かっこいいけれどうさんくさい!)。脚をわざと曲げて、まるで不具の人のように杖をついて、エドワード王子の寝かされた台車の下からぬるぬると登場しました。

「おくさ〜〜〜ん」

と、ひどく胡散臭く、でもセクシーな声で、未亡人アンをあの手この手で口説きはじめます。

グロスタは、心にもない事を言うとき、すごく魅力的な声を出すのですね。

グロスタとアンのやり取りを、興味津々という顔をしながら囲んでのぞき込む男達。これは、スキャンダルをのぞき見する民衆?マスコミ?そんなイメージなのでしょうか。下品に囃し立てていて、醜悪で、ぞっとする雰囲気。でもこの群衆の中にいる今井さん、下品な雰囲気の時もカワイイですね。好き。好きです。

グロスタとアンのやり取りはとても官能的。グロスタに籠絡されて指輪をはめた長くてすらりとした指を誇らしげにかかげる手塚アンの、可愛らしい仕草。いや本当に可憐で頭のあんまり良くないお姫様に見えました。すごい。あと脚が細い。綺麗。

ここでグロスタは眉目秀麗なエドワード王子に「何ひとつ勝ち目はない」はずだったが、彼女の愚かさ故に篭絡出来てしまったアンを嘲笑いながら「このからだを飾り立てる着付けを工夫するか」と言います。その後、グロスタはより一層身体を奇形にして登場します。この着付けというのは、人を欺く為のもの、彼にとっては奇形の身体だったという事でしょうか。それとも、美というものを皮肉った表現なのでしょうか。

このあたりまでは劇中劇のような雰囲気だったのですが、寝そべっていた犬たちことケイツビーとラトクリフにグロスタが再び指示を与えて送り出してからは薔薇戦争の時代になるようです。それとも、踊ったりのぞき見したりしていた男たちに役割を与えられ、傍観者から物語上の役を果たすようになったという演出なのでしょうか。

不気味な唸り声とともに、点滴だらけのエドワード四世が登場します。病気の王様は先が長くなく、無理矢理延命させられているような雰囲気もありますね。そこへ今井さんことマーガレットが登場して、下手から上手へと横切ります。死人のようなメイク、サイズのあっていないグレーのコート、ランジェリードレス、Tストラップのハイヒールというクールな姿です。彼女は杖をついていますが、老女というよりは老獪な政治家みたい。

今井マーガレットの歩き方は上品で優雅なのですが、嫋やかなそれとは違って女性官僚とか女性政治家のようなカツカツとした硬質な凛々しい歩き方だなと思いました。この後から要所要所で出て来るマーガレット、カツカツ歩きながら髪をかき上げたりするんですが、まるでキャリアウーマンみたいな仕草です。やはりマーガレットというのは、夫に成り代わって権謀術策を張り巡らせ戦った、権力者側の女であったからでしょうか。

マーガレットが横切った後、エドワード四世は崩れ落ちます。ランカスターとの血で血を洗う争いの果てに勝利したヨーク家の凋落を予感させるシーンです。この横切って倒れるシーン、光の使い方とか、幕の間から顔をのぞかせる人々とか、ディズニーアニメのワンシーンのような雰囲気を感じました。

エドワード四世が死にそうなので不安でならないエリザベスが登場します。植本さん、この舞台上の女形の誰よりも可憐なお姫様でした。まさに面目躍如。所作や顔つき、声色が可憐な姫。嫋やかなお后様。初見の時はちょっとあまりにあんまりなので動揺しました。

エリザベスは不安を口にしながら、弟のリヴァーズと息子のグレイ卿に慰められています。リヴァーズとグレイ卿は慰めながら、同時にお酒のボトルをあおったりしますが、これにはどんな意味が込められているのでしょうか。権力を持つ美酒に酔っていて、現実を直視出来ていない暗喩とかなのでしょうか?それとも堕落の象徴みたいな感じ?タイミングを合わせているので印象に残っています。

そしてマーガレットの登場です。狂人となった彼女はさまよっているので悪臭を放っている設定なのですが、今井さんのマーガレットからは良い匂いしかしなさそうです。椅子に腰かけ、脚を組むのですがすごく筋肉質でかっこいいと思いました。幕間の休憩中にもいろんなひとが口々に「今井さんの脚が綺麗」と言っているのを聞いたので、これはファンの欲目とかではないと思います。

彼女は無言のまま杖をつき脚を組んで座っています。そして観客は、彼女のヒールの裏に赤く汚れたようなペイントが施されている事に気が付きます。これは、彼女もまた様々な人間を殺しその血を踏みつけて今に至るという隠喩なのだと思いました。そして伝線したような加工を施された黒いストッキングも見逃せません。何しろ丈の短いランジェリードレスから伸びた筋肉質でかっこいい脚に纏わりついているのですから。

グロスタ、バッキンガム、ヘイスティングズが遅れて登場します。ここでのグロスタは身体に大きなこぶの詰め物をつけて、より体のねじ曲がった人間として登場します。片方にワークブーツ、もう片方にハイヒールというアンバランスな足元は、美しくも面白いと思いました。

グロスタ達が登場して、マーガレットはそのかっこいい脚を組み替えます。ちょっとだけ昔に観た映画、氷の微笑のあれを思い出しました。セクシーでした。ありがとうございます。

それにしても何故、グロスタは鼻血を出していたのでしょうか。癇癪をおこした(演技を)した拍子に頭に血が上ってしまっているという演出なのでしょうか。

言い争いを始めたエリザベス勢とグロスタ勢をよそに、エリザベスの王冠を自分の頭に置いたりする茶目っ気溢れるマーガレットがかわいかったです。ありがとうございます。

醜い言い争いをする両陣営を前に、朗々とした声で話し始めるマーガレット。彼女は長い投獄と人を呪う心によって人ではなくなってしまっているように見えますが、その口ぶりは堂々としていて威厳に満ちています。つまり高貴な人のそれです。

「お前の栄誉も地位も王妃の座ももとはわたしのもの」

マーガレットの台詞も大きく削られています。特に、彼女の過去の栄光を強調するような削り方だと感じました。彼女も権力者の側であるという事を示しているのでしょうか。また、同時に彼女が過去に行った悪行を入れる事によって、マーガレットを哀れに思う気持ちを削いでいるのだなとも思いました。

リヴァーズに王冠を取られたマーガレット、日によって椅子から転げ落ちたり、ただ追い縋ってフラつくだけだったりのパターンがあります。

立ち上がって少し上向きになった時のマーガレットの貌。白塗りの皮膚に死人のようなシャドウ。眼球が光っているかのように見える濃いアイメイク。照明が透けた瞳は飴色に見えます。恐ろしくも魅力的な美女に見えるのが本当に凄いですね。

王冠を再び奪われたマーガレットは、その場にいる全員に、呪いの言葉をはきかけます。この時の今井さんの声の強弱の付け方がまた秀逸だなと感じます。小さな声も恐ろしく、大きくヒステリックな声はドスが聞いていてすごく怖い。毎回自分の耳にエフェクトがかかったような?音がつまったような?効果がかかるが不思議です。呪詛の言葉の魔力なのか、それともそういう音響効果なのでしょうか。

呪いをまき散らし、予言をするマーガレットの言葉の迫力。

この戯曲はヨーク家、グロスタの栄光と凋落の物語であるのと同時に、マーガレットの呪いが成就する物語でもあると思うのです。

だからこの場面のマーガレットは苛烈な光を放っているように見えました。

登場人物たちはこの後、彼女の呪い(予言)の通りの運命をたどります。

中でもエリザベスに放った呪いは強烈で、恐ろしいものでした。

エドワード四世は戦いでなく食いすぎで死ぬがいい。(エリザベスへ)お前の息子エドワード、今は世継ぎだが、わたしの息子エドワード、かつて世継ぎだったあの子と同じに蕾のうちに無残な死を遂げるがいい。お前は王妃だが、かつて王妃だったわたしと同じに栄華の果てに生き恥を晒すがいい。長々と生きて子供たちの死を嘆き続けるがいい。その幸福な日々よ、お前が死ぬずっと前に終わるがいい、あきあきする長い悲しみの日を過ごして、母でも妻でもイングランドの王妃でもなく死ぬがいい」

この後にも呪いは続きますが、特にエリザベスにかけた呪いは長く、具体的です。これらはマーガレットが過去に持っていたものを、今現在彼女が持っているからでしょうか。マーガレットは、彼女の持ち物を奪い取った男たちではなく、同じ女、王妃であるエリザベスの栄光を激しく憎み、呪うのです。マーガレットには過去しかないから。己と同じ思いをエリザベスにもして欲しい。今、たった一人、落ちぶれて孤独な彼女と同じ思いをする人間が欲しいのだと思います。そうでなければきっと、彼女の魂は救われないのです。

この演出ではカットされていましたが、原作の中にある次の印象的な台詞を読んで、そう思いました。

「恥とか情とか、押し付けるな。(中略)わたしにとって慈悲は残虐。生きていることは恥辱。その恥辱の中になおわたしの悲しみに炎は燃えさかるのだ」

また、グロスタにかける呪いも印象的な言葉でした。

「良心の牙に永劫に噛みさいなまれろ。生きてある限り味方を裏切り者と疑い続け、最悪の裏切り者を最良の友と信じ続けろ」

これからグロスタが行う粛清およびバッキンガムとの別離、そしてグロスタの最期への前振りだったのです。

マーガレットの恐ろしい呪詛、そして発狂シーン(引きずり倒されるところとても良かったです)の後、彼女はバッキンガムにだけ「お前だけはわが呪いの外にある」と言いながらも、突如として、まるで興味を失ったかのように、あるいは憎しみを滲ませたような動作で彼の元を離れます。何故なのでしょうか。バッキンガムも同じ穴の狢であるとマーガレットが看破したという事なのでしょうか。

マーガレットの呪いを受けた一同の元へケイツビーが現れ、王の元へ行くように促します。このケイツビーとラトクリフは、殺し屋などになってグロスタの犯罪行為を実行する大切な役目として登場します。河内大和さんと浜田学さんは、筋肉質でスタイルが良く、眼が鋭い役者さんなので、恐ろしい行為をする役目にぴったりですし、彼らによってその恐ろしい行為が退廃的で官能的なシーンへと昇華していました。

ケイツビーとラトクリフ(殺し屋1と2)が現れ、天井から伸びたシャワーから、薄汚いバスタブに水が注がれます。二人は気怠い仕草で煙草をふかしながら、バスタブに水がたまるのを待っています。すると、ずっと舞台の端で寝かされていたクラレンスが起き上がって、顔に恐怖を浮かべながら鬼気迫った独白をはじめます。

ここからクラレンスがバスタブへと連れて行かれる場面はとても恐ろしいです。哀れなクラレンスは、二人に命乞いをしながら水責めで殺されて行きます。最後の頼みの綱、信じていたグロスタが己の死を望んでいるという事実を告げられ、絶望しながら死んで行くのです。押さえつけられて身体を痙攣させながら。

クラレンスが恐ろしい殺され方をした後、表情を消した、少年というよりは青年になりかかった体格の小姓が淡々とモップをかけて殺害の後始末をしています。人の命が、簡単に摘み取られて行くのです。

ふたたび、点滴だらけのエドワード四世が登場します。死にそうなエドワード四世の膝に座る、第二王子ヨーク公リチャードがとにかく無垢で利発で可愛らしい。ダブルキャストでしたが、どちらのチームの子も可愛らしかったです。子供の身体でこそ表現できるものがあるのです。

王は死の影が色濃くなっている己が死んだ後、己の子の事を思って、皆が和解するようにと心を砕いているようです。王の眼前では、白々しい抱擁が繰り広げられています。リヴァーズはヘイスティングズとの握手でどちらが上に手を置くかの小競り合いも面白かったし、ヘイスティングズがいちいち嫌がっているのも細かくて良かったです。

白々しい友好のシーンが繰り広げられた後、エドワード四世は、自ら投獄したクラレンスの死を知らされます。取り消したつもりだったのに、もう死んでしまった。今回は様々な台詞がカットされていて、エドワード四世がいきなり自らの一族を呪いはじめる意味が初見ではちょっとわかりにくかった。原作を読んではじめて理解出来ました。

クラレンスが投獄されたのも、早々に殺されてしまったのも全てグロスタの罪です。そして今度はエドワード四世が、クラレンスを殺してしまった罪による憔悴によって残り少ない命を更に少なくしてしまったようです。

クラレンスの死を嘆き悲しむヨーク公夫人と、クラレンスの死体を楽し気に覗き込むマーガレット。彼女は己の呪いが成就するたびに登場し、クルクルと優雅に踊ります。ヨーク家の凋落、ヨーク家の苦しみこそ彼女の本懐なのです。

ヨーク公夫人の壌晴彦さんはさすがの美声と貫録。迫力のある嘆きは、イングランド王室の悲しみを見詰め、グロスタという怪物を産み、愛する事も出来ずに疎んで来た母親という重層的な女性を表現するのにぴったりだと思います。

ヨーク公夫人が打ちひしがれているところにエリザベス達が再登場し、エドワード四世の死を告げます。

続いて現れた、エドワード四世の葬列、そして拡声器を手にしたバッキンガム公が言う台詞はファシズムプロパガンダじみて聞こえます。

ヨーク公夫人は、二人の輝かしい息子を失った事を嘆きます。そして唯一残った、己が産んだ呪わしい子供を前に、グロスタを目の前に、嫌悪を隠しもしません。

彼女は、先に産んだ美しい息子たちだけを愛しています。醜い息子を疎み続けて来ました。母親から愛されなかったグロスタは、でも悲しむわけでもなく、表情なくそれを聞いています。ですが、グロスタの瞳の奥に、私は鋭い痛みを感じるのです。

グロスタ達は、平然とパーティーをしています。談笑し、酒を飲み、何かを食べています。これはなんでしょう?マシュマロみたいな?甘い菓子を表現しているのでしょうか。これらは、利権などの隠喩表現なのでしょうか。

バッキンガムやグロスタ達は、言葉巧みに皇太子の戴冠をチラつかせてリヴァーズやグレイ卿をエリザベスから引き剥がします。

ブラッケンベリが大音量の拡声器で、有無を言わせずにリヴァーズとグレイ卿の投獄を知らせます。弁明など差し挟む余地もなく。

このあたりのシーンは原作を読んでみないとちょっとわかりにくく、シーンも前後しています。ただ、突然罪を着せされる恐ろしさ、それが実行されてしまう不気味さ、ファシズムというものを直感的に感じる事が出来る演出だと思いました。

ケイツビーとラトクリフがビニール袋(ゴミ袋)を持って彼らを連れて行きます。透明なそれは、度々現れる死のメタファーとしてのゴミ袋です。

政敵たちを追い払ったグロスタとバッキンガムは、抱き合い、官能的な口付けを交わします。そばにいるヘイスティングズがちょっと困った顔をしています。これは彼らの蜜月を表しているのでしょう。共産圏の政治家たちは友誼を示す為に口付けをすると言います。ですが彼ら二人の様子は、友誼を示すための口付けを明らかに逸脱している、舌を絡めるようなそれでした。

グロスタはバッキンガムに言います。

「おれの分身、おれの枢密院だあんたは。おれの神託、予言者、本当の身内だ。子供のようにおれはあんたの指図に従うよ」

グロスタは、うっとりしたような、縋り付くような眼でバッキンガムを見ています。(そう見えました)

母親に愛されず、女を騙して道具のように扱う男が。

確かにバッキンガムとグロスタは利害関係で繋がった親戚同士です。ですがグロスタにとってバッキンガムはきっと、己を理解し、誰にも愛されてこなかった自分を支持してくれる魅力的な人間であったのでしょう。だからバッキンガムは、あの悪辣なグロスタのキングメーカーになりえたのだと思います。

顔を寄せて親密にする二人の前に、皇太子が現れます。皇太子もダブルキャストの子役です。小さく、華奢な身体が、繊細なレースに包まれて、まるで宝物のように運ばれて来ます。

グロスタ達はこの小さな子供にへつらって、機嫌を取ろうとしています。子供でしかない皇太子はグロスタから手渡された甘い菓子を口にして、彼の手の内に入ってしまいます。

やがてむりやり連れてこられた弟のヨーク公リチャード、更に幼い第二王子と抱き合うシーンはとても無垢でけなげで美しい場面です。

私達は、やがてこの幼く、美しい王子たちが、この媚びへつらう醜悪な大人に殺されてしまうのを知っています。子供たちが幼く可愛らしいほどに、後の残酷さを想像し、心臓を冷たい指にぎゅっと掴まれるような気持ちになる場面でもあります。

(でも、ケイツビーとラトクリフが無表情で鈴をシャンシャンならしているのがとても可愛いと思いました)

第二王子は利発な子です。玩具の拳銃をグロスタにつきつけて、強請ります。グロスタにとって、王子達は恐ろしい存在です。王子達は、母親はもちろん、周囲の、ひいては国民の愛を一身に受ける、美しくて聡明な子供達です。彼らは将来、きっとグロスタの罪を暴く事になるでしょう。彼らが聡明で、拳銃を付きつける機転があっては大変です。将来彼はグロスタの罪を暴き立て、グロスタが手に入れようとしている地位を簒奪する事でしょう。だから後ほど王座についたグロスタは、王子達を殺さねばならなかったのです。

王子達が醜くて暗愚であったなら、殺されずに済んだのかもしれません。ですが王子達は美しく、聡明でした。

ロンドン塔に送られる王子達は、運ばれて行くロッカーみたいな箱(多分馬車を表しているのでしょう)の、不鮮明な窓をその紅葉のような小さな手でバンバンと叩いて抵抗します。ですがその手はあまりに小さくて、儚いのです。

王子達をロンドン塔へ送ったグロスタはご機嫌です。いよいよ王座が見えて来たからでしょうか。ヘイスティングズ卿を仲間に引き入れようと、雨の降る中、ケイツビーを使者にして彼の政敵を葬る事を知らせます。ですが、仲間にならぬようなら首を刎ねると言うのです。

独裁者としてのグロスタが出現します。政敵を次々と粛清し、グロスタは強くなっているのです。

ヘイスティングズは、エリザベスとの仲は悪いですが、王子達の事は大切に思っているので、グロスタの仲間にはなろうとしません。彼は自分の運命も知らずに、かつての政敵であったリヴァーズとグレイの処刑を喜びます。

この、リヴァーズとグレイの処刑を告げるケイツビーの声色が恐ろしく、魅力的でした。そして何も知らずに喜ぶヘイスティングズに向かって「心構えも予期もしていない時に死ぬというのはいやなことでしょうな」と、告げる時の声も。

河内さん、初めて拝見したのですがとても魅力的で素敵な俳優だなと思いました。今回知る事が出来てとても良かったです。

これから処刑される、リヴァーズとグレイが台車で運ばれて来ます。身体には、死の象徴であるビニール袋が纏わりついています。怒り、嘆く彼らの元へ、中央の扉からマーガレットが勢いよく走り出て来ました。

大きく表情を変えたりはしませんが、とても幸福そうな顔をしています。マーガレットはクルクルと、優雅に舞います。マーガレットは亡霊のようであり、彼女が成就した時に舞う踊りは浮遊しているようです。彼女はまさに生きているのか死んでいるのかわからない存在であり、舞台上に呪いを振りまいています。それにしても今井さんは、あんな高いヒールで素早く走り出る事が出来るの、本当に凄いなと思います。

ケイツビーがチェーンソーを持って二人に迫ります。断頭台へ運ばれる=チェーンソーという表現、断頭台そのものを見せられるよりも生々しく、より恐ろしさが増す演出だと感じます。

処刑が終わり、皇太子の戴冠式についての会議が行われます。サングラスをかけ、発言を封じられるような黒いマスクをした出席者たちは、長テーブルに座り、俯きがちです。独裁政権では、迂闊な発言は命取りになると知っているからです。テーブルの上に置いた手は、何かを書き写しているのでしょうか、それとも震えているのでしょうか、細かく動いています。

日程について司教が発言した時、ケイツビーが袋の中からチェーンソーを取り出します。独裁政権では、指導者の意志に従わぬものは首を刎ねられてしまうからです。司教もすぐに発言を訂正していました。そんな中、普段通りのヘイスティングズ。彼は政敵が処刑され、自分は安泰だと安心しきっています。

ですが遅れて会議に現れたグロスタに嵌められて、些細な失言によって処刑を言い渡されてしまいます。これは独裁政権の恐ろしさなのでしょう。独裁者の気分次第、指先ひとつで罪でもない、むしろ正常な判断を下した結果、処刑されてしまうという理不尽です。

マーガレットがクルクルと舞い見つめる中、政敵の死刑を喜んだ愚かなヘイスティングズは哀れに処刑されてしまいます。ヨークの納める世を呪いながら。チェーンソーによって首を刎ねられたヘイスティングズの首が、ごみ袋によって運ばれて来ます。表情を消したまま、淡々と惨劇の後始末をしている小姓のバケツに、文字通りゴミのように首が投げ捨てられます。バケツに捨てられた時の音、その重さが妙にリアルで、私は背筋がゾッとしました。

ヘイスティングズは処刑される前、大声で世を呪いながら服を脱ぎ捨てます。ヘイスティングズを処刑し、彼の首をバケツの中に投げ捨てたケイツビーとラトクリフは、ヘイスティングズの残した品の奪い合いを始めます。

服=権力者の富、という隠喩なのだと思います。処刑した後は財産を没収し、分け前を争う様子が展開されて、幕が閉じました。

 

幕が上がると、雨の音と共に、ロッカーケースが連なったようなセットが現れます。このロッカーケースは、子供達を運ぶ馬車になったり、扉になったり、ロンドン塔になったりします。今はベイナード城という設定です。

グロスタは、こぶの詰め物も不具のふりもやめて、スラリとした美しい体系の男です。上半身には一糸も纏わずに、ケイツビーやラトクリフ同様に均整の取れた肉体を露出しています。グロスタの貌のメイクも、一幕目よりも病的なラインが入っているように見えます。そんな気がします。一幕目は血色がよかったはずですが、二幕目は青ざめて、隈や陰影が色濃くなっているように見えました。

グロスタは、下品な音をたてて何かを食べています。鍋に直接スプーンをつっこんで、上品とはいいがたい、品のない食べ方をしています。そのグロスタの足元で、ケイツビーとラトクリフの酒を飲んだり何かを食べたりしています。真っ白なスープのような。白い粉を水に溶かしたような(片栗粉を溶かした時のようにトロっとした何かです)。人間の食べ物ではなく、薬物、毒のような何かです。

城の向こうには人々があつまってきています。出演者が傘を二本持ちして、多くの人がいるように見えました。今井さんはサングラスをかけて腕を組んで傘をさしていました。口元がセクシーでした。

ここでもマイクや拡声器が効果的に使われています。ファシズムプロパガンダを投影しているように見えます。

バッキンガムが民衆を扇動しています。彼らは心にもない美辞麗句をならべたてます。グロスタはガツガツ、ズルズルと下品に食べ物を貪る、己の権力にしか興味のない男として描かれていますが、民衆に向かってパフォーマンスをする時の、マイクを通した声色はとても魅力的で、美しい言葉だけを使い、人格者を装います。実態は、影で民衆をあざ笑っている描写も入れながら。この時のグロスタは、王座に手をかけた状態であるはずです。あと一歩のところです。ですがこの時のグロスタはどこか倦怠感に満ちていて、グロスタに寄り添うケイツビーとラトクリフの様子も気怠そうに見えます。やはり鍋の中の白いスープは、薬物なのでしょうか。彼らは酩酊しているのでしょうか。

それにしても屋根の上のケイツビー、本当にセクシーでした。気だるそうに眠るケイツビーが素敵過ぎです。あと美声。とても好きな声。

 

バッキンガムが扇動したかいもあって、ついにリチャードは玉座を手に入れます。

玉座の横で、己の運命を察知し怯えきっていたアンは、王リチャードの手でかけられた黒いベールによって人形のように動かなくなります。

玉座には王冠と、ビニール袋がかけられていました。

リチャード三世は、これまでに死者を包んでいたあのビニール、ゴミ袋が覆う玉座を手に入れたのです。

彼はうっとりとした顔で喘ぎながら、王の椅子を愛撫するかのようにその長い腕を這わせ、脚に口付けます。そして恍惚とした表情で、我を失ったかのように、王座にかけられたビニール袋の中に、自ら潜り込みます。倒錯した性の匂いを強烈に感じるシーンでした。ゴミ袋はまるで子宮のようでもあり、袋の中に胎児のような体勢で潜り込む姿は、母親に愛されなかったグロスタの母胎回帰を思わせます。

王座は、この世に産まれ出た時から彼が欲しくても得られなかった、栄誉や、愛や、美、そして憧憬の詰まったものです。殺してしまった兄たちへずっと抱き続けてきた、コンプレックスだらけのグロスタが欲しくてたまらなかったものの集大成です。

そして彼を包み込む膜は、同時に彼の死を連想させるものです。王リチャードは玉座の袋の中で喘ぎ、王冠を頭に戴き、そして苦しみます。

手術室の照明のようなライトが彼の近くまで降りて来て、王座に座ったリチャードを真っ白な強い光で照らします。王リチャードが眩く照らされる程陰影は深く濃くなり、死人のような形相を闇の中に浮かび上がらせるのです。

ゴミ袋の王様が誕生しました。

このシーンのあたりから、王リチャードは瞬きをしなくなります。眼をギョロリと見開き続けています。

断末魔の雄叫びのような叫び声を上げる王リチャードの前に、ロッカー(ロンドン塔)に閉じ込められた、エドワード四世の遺児が横切ります。小さな手で音をたて、窓を叩いています。口々に何かを叫びながら。曇った窓から見える口の動きからは、「ママ」と叫んでいるようにも見えました。上手までたどり着いた箱の中で、兄弟は抱き合って闇の中に沈みます。それを見た王リチャードは、怯え切った顔でバッキンガムを呼ぶのです。

不具の、未完成な子として生まれて来た彼にとって、愛されて、美しく、正当な王子達は憎くて恐ろしいものに違いありません。彼が持ちえなかったものを持っていいます。子供達が大きくなれば、彼の罪を暴き立てるでしょう。だからバッキンガムを呼んだのです。

ですが、バッキンガムは恐れてしまいました。幼く美しい子供達を殺す事に抵抗があるのでしょう。あんなに狡猾にグロスタに尽くしたバッキンガムですら、躊躇ってしまう程の、神に対しての重罪なのです。

バッキンガムとの蜜月を過ごして来た王リチャードにとって、これはショックだった事でしょう。バッキンガムは自分を理解し、王へと押し上げてくれた人でした。彼にとっては許し難い裏切りです。この後、王リチャードの孤独は更に色濃くなります。

彼は言います。「これからの話し相手は石頭の馬鹿どもか」と。

彼はバッキンガムにだけ様々なたくらみ打ち明ける事が出来たのです。

そして小姓に子供達を暗殺する人間を紹介させます。この小姓役、ダブルキャストなのですがAチームの子は皮肉げな雰囲気、Bチームの子は純朴そうな雰囲気がします。この小姓によってこのシーンの印象がちょっと変わって来るような気がします。小姓は代書人と同じく、最初から傍観者に近い立ち位置です。王宮で淡々と仕事をしている、普通の人間です。普通の人間である小姓の目線が、冷笑的なのかそうではないのかでは、印象が少しだけ違うかもしれません。

原作ではいつの間にか退場していたアンですが、今回の演出ではケイツビーが彼女を引き摺って連れて行きます。哀れな案は若くて美しいまま死んだのです。この時のケイツビーは今迄と違い、躊躇っているように見えます。

眩い光の中にいる独裁者王リチャードの孤立を浮かび上がらせます。

そしてバッキンガムが再登場して、決別が訪れます。

バッキンガムの裏切りが許せなかったリチャードは、約束していた彼の要求を跳ねつけます。彼を王にまで押し上げたバッキンガムを粗末に扱ってしまいます。

リチャードは悲しかったのでしょうか。裏切りもののバッキンガムが憎かったのでしょうか。愛が氷になった事に失望したのでしょうか。自分よりもあの美しき王子達を憐れんだバッキンガムを、許せるはずもないのです。でも、今迄のようには殺せなかった。バッキンガムは自分を押し上げた公爵でもあるから、いきなり処刑も出来ないでしょう。それよりなにより、王リチャードは彼に対して抱いている感情故に、冷たくあしらう事は出来ても捨てる事が出来なかったに違いないのです。

王に褒賞をもらえなかったバッキンガムは、王リチャードの元を去って行きます。

そしてティレルが登場し(山口さん顔がとてもかっこいいですね)、ロンドン塔で幼い王子達に手をかけます。駆け寄ろうとする代書人を手で制して静かにするように促す仕草の小姓は誰の代わりだったのでしょう。

そして私の思う、この舞台で一番の白眉だと思うシーンが始まります。

血痕の飛び散った城壁模様の幕がぬるぬると、溶けるように落ちて行きます。

エリザベスとヨーク公夫人に抱えられた、血だらけの布にくるまれた、華奢で小さな身体。彼女たちが腕の中に抱えている子供のサイズに言葉を失いそうになります。

私はこのシーンで「子役が本当の子供である事の、ビジュアルの強さ」を意識しました。

きめこまやかで白く柔らかな皮膚の、まろい頬の、細いく小さい手足の子供が女たちに抱えられているシーンは、そのビジュアルただそれだけで強く訴えかけられるものがあります。何の罪もない無垢な子供の死は、あまりに美しく、儚く、悲しいシーンです。

幼い子供の死体を抱えて悲しみに暮れる彼女たちのもとへ、マーガレットが現れます。

「かくして今や、さしもの栄華も熟し始め、腐った地の淵へ落ちようとしている。ここに、このあたりにひっそりとわが身をひそめていたのも、わが仇の凋落を見据えようため」

無垢でいたいけな、小さな小さな子供の身体を清めながら嘆く二人を前に、マーガレットは呪いの成就を喜びます。歓喜を隠そうともしません。残酷で恐ろしく、美しいマーガレットです。彼女は憐れみを受けるのを拒否し、誰からの理解も捨ててランカスターの血を呪い、神はそれをかなえたのです。

彼女達の影は、黄昏のライトに照らされて血に塗れた城壁に投影されます。

彼女たちの嘆き、悲しみ、喜び、憎しみ、呪い、祝福の言葉は歌のように混ざり合います。とても美しい旋律です。このシーンもっと長くても良かったくらいです。もっと聞いていたかった……壌さんはさすがの美声ですし、植本さんも今井さんも歌がうまい……素敵……すごく悲しい場面で涙さえ溢れてくるのに、私はついうっとりとしてしまいます。マーガレットの呪いは成就し、新しい呪いが王リチャードへとかけられるのです。

マーガレットはフランスへ帰ると言います。彼女の大切なものを殺した王リチャードの最期はしっかりとその目で見据えなくても良かったのは、なんなのでしょうね。

マーガレットのもっとも具体的で強い呪いはエリザベスに向いるように見えます。エリザベスに投げかけた様々な言葉は、過去の自分が持っていたものや経験したものです。

以前は権力と誰もがうらやむ財を持っていたマーガレットにとって、本当に憎いのは自分を輝かしい場(女王という立場、后という立場、美しい子供がいるという立場)から蹴落としたリチャードではなく、それらを所有しているエリザベスやヨーク公夫人であったのでしょう。彼女はそれらを喪失する苦しみを、胸を掻き毟られ、出口のない暗闇をさ迷うような憎しみを、誰よりも理解出来ているのです。だから自分と同じようになった女たちの前で薄く笑うのです。彼女の苦しみは他の苦しみによってしか解放されなかったのでしょう。なんと利己的で哀れな女だろうと思いますが、私は何処かそれに共感してしまいます。

このシーンは、マーガレットという女の苦しみや憎しみが浄化され、呪いが成就し、彼女が祝福される美しい場面だと思いました。

ヨーク公夫人の背に寄り添いながら別れの言葉を口にするマーガレットには、歓喜と共に憐れみが滲んでいるようにも見えました。己の願いが成就した後にしか、憐れむ事が出来なかったのかもしれません。本当ならばもっと大笑いしても良いはずなのに。愉快でたまらないはずなのに。

彼女は首からおもりを外し、彼女達に人を辞めてしまうような呪いの方法を授け、ヨークの奥方に預けてフランスへと帰ります。呪いの連鎖が完成したのです。

 

このお話は、母親として、女としての苦しみを与えられた女たちと、己を未完成のまま産んで愛さなかった母親、己を腹の中で掻把したかったと言って憚らない女というものを憎んでいる王リチャードとの対比、対立の物語でもあるのかなと思いました。

ヨーク公夫人は、残酷な王リチャードをひどい言葉で罵倒します。醜く産んだが故に愛さなかった、己の歪みだと言って憚らない子を、抱き締めてやらなかった子を悪魔だと罵倒します。彼女は確かに人間的ではあるなと思いますが、故に私は全く同情出来なくて良かったなとも思いました。

王リチャードは母親に罵倒されながら、母親を笑い、嘲り、鍋の中の白いものを口に運びます。勝利者であるはずなのに落ち窪んだ目やこけた頬はますます恐ろしく悲しく哀れに感じます。

そしてエリザベスです。王リチャードは、殺した兄弟の姉エリザベスを寄越せと彼女に迫ります。エリザベスの胎から産まれた子を殺したが、同じ胎から産まれた子を妻にし、孕ませると言います。この台詞のおぞましさは凄い。王リチャードはアンに求婚した時と同じように、甘い言葉を囁いて篭絡しようとしますが、そんなもの通じるはずもありません。ですが王リチャードにはそれがわからない描写が滑稽でした。王リチャードがエリザベスに擦り寄るシーンは官能的ですが、エリザベスの絶望感、嫌悪感を思うと背筋が凍る程におぞましかったです。初見の時は「エグいなぁ~」と呟きそうになりました。

この後はいよいよ孤独になった王エドワードの心象風景的な表現が多くなります。

壁面に映し出される色々な絵画のアレは、ちょっとまわりがザワっとする回もありました。昔見たアングラ映画っぽかったです。バッキンガムの裏切りで動揺する王リチャードが哀れでした。

バッキンガムが捕縛され、ケイツビーとラトクリフ(処刑人)が台車に乗せて現れます。全身を拘束され目隠しをされています。王リチャードが来てくれない事を悲しむようなバッキンガムを、処刑人は慰めています。そしてバッキンガムは、己は罪を犯した人間であり、罰を受けるのだと納得しているようにも思えます。王リチャードとの蜜月を悔いているのでしょうか。

他の男たちを処刑するシーンとはやはり様子が違います。王リチャードにとって、バッキンガムだけは特別であったのだと理解出来る演出になっています。

フランスに帰ったマーガレットは現れず、今迄処刑を冷酷に見つめていた王エドワードは、眼前に運ばれて来たバッキンガムを戸惑ったような眼で凝視しています。

エドワードは、自分が脱ぎ捨てた、戴冠の時に潜り込んだゴミ袋を拾います。ガサガサという音の気配に、バッキンガムはそばに王リチャードがいる事に気が付き、腕を上げて彷徨わせました。王リチャードはビニールのゴミ袋をケイツビーに手渡し、バッキンガムの手を、処刑しようとしている裏切り者のバッキンガムの手を、愛おしい者にするかのように両手で包み、握ります。その手が王リチャードのそれだと気が付いたバッキンガムは、リチャードの方に一度だけ首を向けると、安心したかのように、静かに横たわります。ケイツビーは王リチャードから受け取った、丸めたゴミ袋をバッキンガムの顔に押し付けます。窒息させられ苦しい身体をばたつかせる彼を、ぐっと抑えつける処刑人たち。死んで行くバッキンガムを、凍えたように硬い表情で、瞬きもせずに凝視しながら見ている王リチャード。王リチャードはそのまま、苦しむバッキンガムの手に頬を擦り付けます。まるで縋るように。

息絶えるバッキンガムに寄り添って、手の甲に口付けする王リチャード。

ここのシーンはすごく耽美ですね。まさかここでこのような耽美が見られるなんて思ってもいなかったので腰が抜けるかと思いました。

強烈な愛の告白であり、鮮烈な別離です。

このシーンがあったおかげで「このリチャード三世は、グロスタとバッキンガムのラブストーリーであったのでは?」と思ってしまったぐらいです。

己を王座へと押し上げ、母に愛されなかった己を唯一理解してくれた(理解してくれていたと思った)バッキンガムの死。

バッキンガムの死体を見送った王リチャードの、声のない慟哭。闇に溶けてしまうような絶望と悲しみが彼を襲っているのだなと理解できる、凄い演技です。ついに王リチャードが独りになってしまったのだと感じました。

愚かな男です。自分を唯一愛してくれていたかもしれない人間を自ら殺してしまったのです。愚かで悲しいけれど、観客である私はそれを、どこか冷えた気持ちで見つめていました。

あんなに無垢な子供を殺してしまう程残酷な人間が受ける罰として、とても相応しいと、王リチャードの慟哭を見ながら思っていました。

彼は、己の身内を殺した時のように「愛しているから天国へ送ってやるのだ」という欺瞞も言いません。

自失している王リチャードをよそに、ふたたび壁面には画像が映し出されます。

彼を追い詰めるリッチモンドがモノトーンの色調で現れるのはデザイン的に良かったと思います。

リッチモンドばんざーい」(舌をベーっと出す)は王リチャードを追い詰めるリッチモンドも邪悪に見えて、所詮は同じ穴の狢なのだという印象を受けました。

舞台上には王リチャードが取り残されます。

ついに闇の底のような孤独に突き落とされた(自ら落ちた)王リチャードだけがいます。

戦況は劣勢で、追い詰められています。

舞台上では、彼の孤独な心象風景の世界が展開されます。声はするけれど、彼のまわりには誰も人がいません。研ぎ澄まされたように冷たい孤独の描写です。

孤独な王リチャードが独り玉座に座っていると、音が消え、静かな中、城壁模様の幕がゆっくりと、ぬるぬると、上がって行きます。

(ぞっとする、悪夢的な視覚効果ですが、何度も見ているとここで私は「きたあああ!」とテンションが上がってしまいます)

ぬるぬると幕が上がり、舞台奥の扉が開きます。鮮やかな色のついたライトに照らされ、これまでにリチャードに煮え湯を飲まされたり、殺されたりした登場人物達が勢ぞろいし、ジャズに合わせ、まるでミュージカルのように歌い出すのです。ドラッグをキメて見る悪夢のような雰囲気もあります。

 

王リチャードに殺された亡霊たちは、口々に歌います。

「この世に思いを絶って死ね!」

と。最高に楽しそうな顔で。リチャードへの呪いを口々に歌うのです。

クラレンスは運ばれて来たバスタブから、水に濡れたまま現れます。

リヴァーズとグレイ卿はコンビになって、チェーンソーをブインブインいわせながら。

ヘイスティングズはゴミ袋に入った己の首をかかえながら(ところで八十田さんとても歌がお上手ですね)。

皇太子とヨーク公リチャードの子供達は、王リチャードに馬乗りになって(演技的にはAチームの方が私に合っていたのですが、歌はBチームの方が上手だったと思います)。

そしてバッキンガムは王リチャードにからみつき、官能的なタンゴを(?)踊り、呪いの歌を大声で歌い、口付けをします。

王リチャードは、茫然とした顔をしながらも、亡霊たちを拒絶もせずに、一緒にリズムをとり、タップを踏み、踊っています。

彼は何故、怯え、逃げたりしなかったのでしょう。

彼は、孤独です。己が殺した亡霊たちでもいい、誰かに傍にいて欲しかったのかも知れません。愛したバッキンガムとの口付けの後、バッキンガムに突き飛ばされて転がる彼が、とても寂しく、小さく、哀れに見えます。でも、唯一愛した男との触れ合いは、もしかして彼にとっての一筋の救いであったのかも?とも思います。

 

王リチャードの夢の中で繰り広げられる亡霊達との饗宴の一部始終を、マーガレットは歌いながら、王リチャードのまわりを巡りながら見つめていました。

このシーンで、王リチャードとマーガレットは何度も視線を交わします。マーガレットはじっと王リチャードを見詰め、彼は己に纏わり付くマーガレットを意識しています。

これが、これこそが、彼女の呪いの成就であったのです。このミュージカルは、彼女への祝福でもあったのだと思います。彼女の呪いの集大成であったのでしょう。

亡霊たちはリチャードの罪を暴き立てて呪い、マーガレットを祝福しているのです。

(ここのシーンの、心象風景の歌謡ショー、少しだけエヴァの最終回のアレっぽいなと思いました。みんなに囲まれて拍手されながらおめでとうって言われるアレです)

バッキンガムに突き飛ばされて転がった王リチャードは、マーガレットが置いて行った杖でヨロヨロと立ち上がります。

この杖は何のメタファーであったのでしょうか。マーガレットの重たい呪いを表しているのでしょうか。マーガレットは呪いを成就させ、身軽になったという事なのでしょうか。

荒涼とした風が吹きすさぶ中、王リチャードはよろよろと歩き、舞台中央の馬(車いす)に座ります。(無人で出て来る車いす、毎回ちゃんと中央付近に来ていてすごかったです)

マーガレットはリチャードをこう呪いました。

「良心の牙に永劫に噛み苛まれろ!生きてある限り味方を裏切り者と疑い続け、最悪の裏切り者を最良の友と信じ続けろ!いかなる眠りも人を射殺すばかりのその眼を閉ざすことなく、さもなくば地獄のすさまじい悪魔の悪夢に脅かされるがいい」

王リチャードの夢に現れた亡霊の呪いの言葉は、王リチャードの良心、彼の後悔、懺悔でもあったのです。臆病な良心、千百の舌を持つ良心が、殺した亡霊たちの呪いという形で彼を噛み苛んだのです。

そして孤独で惨めな王リチャードは、見事な迄に、哀れな声で、泣き叫ぶような独白をはじめます。

「絶望だ!愛してくれるものは誰もいない。おれが死んでも、誰も哀れんでなどくれんだろう」

彼はまるで、怯える子供のような顔で嗚咽します。

今迄散々残虐な行いをして来た男の末路です。なんと滑稽なのでしょうか。それまでの己の行いを棚上げにして、最期の時だけ神の慈悲を求めるのです。悪の華になりきれなかった、弱い男です。王リチャードだって、それを十分自覚しているはずです。

彼はついに、あんなに欲しかった玉座を手に入れたのに、多くを踏みにじり、望んだものを手にいれたはずだったのに、満たされずに死んで行きます。孤独で、愛に飢えたまま死んで行くのです。

でも私はそれを、やはりひどく乾いた、冷えた気持ちで見ていました。あの子殺しのビジュアル的なインパクト故に、彼に感情移入など、全く出来なかったのです。

だから、それが良かった。

 

王リチャードの最期を滑稽で哀れだと思いつつも、彼の死にカタルシスがあったからです。

彼の最期を、冷えた心で見つめる事が出来たからです。罪には報いがあるべきです。

でもそれが恐ろしくもありました。まるで冷酷な自分の心をあぶり出されたような気がしたのです。私は王リチャードが死んで行くのを楽しんですらいたのです。

 

代書人としてのシェイクスピアが登場し、哀れに泣くリチャードに煙草と拳銃(ライター)、そしてピエロの鼻を渡します。

車いすに座り、鼻をつけ、笑いながら最期の一服をするリチャードはまるで、追い詰められたファシストの指導者、その末路ようにも見えました。

彼はひとしきり笑った後、拳銃で頭を打ちぬいて幕が下ります。

シェイクスピアの手で渡された拳銃によって、道化のショーは終わりました。

シェイクスピアに手渡された本によって始まったこの虚構の物語は、虚構で終わるという意味なのでしょうか。

悪ふざけじみた幕開けから、悪ふざけじみたラストに終結したという事なのでしょうか。

 

私にシェイクスピアとかイギリス史劇とかルーマニア演劇も素養があったら、もっとまともな感想になったのかもしれませんが、個人的な感想?おぼえ書きはこんな感じでした。

アングラ的な演劇とか映画とかはあまり観たことないのですが、ずっと前に観たDジャーマンの映画「エドワード二世」を少しだけ思い出しました。衣装とか、色彩、湿度、演出とか、昔すぎてウロおぼえなんですが。質感が少しだけ似ているような気がしました。

 

 

 

歌がお上手ですね。あの声色、本当に心から好きです。憐れみを滲ませた瞳で笑う顔も好きです。あんな表情が出来る今井さんは本当に凄いと思います。

あと黒ストッキングとハイヒールとランジェリードレスが最高でした。

一幕目の、グロスタが横に来た時、脚を組み替えるあのシーン、心中で「氷の微笑かよ」って呟いていました。ジワりますがすごく好きです。なんでストッキングのデニールが上がってしまったんでしょうか。筋肉のスケ感が少なくなってしまったすごく残念です。もったいないので大阪では薄いデニールに戻っているといいな……薄いストッキングだと、今井さんのとても綺麗な脚の筋肉とか血管がとても良く見えますよね。マーガレットは浮浪者なのですね毛がそのままでストッキングの流れに逆らえずに上向きになっていたのもとても良かったです。

そんな事をしてはいけないと思いつつ、どの席にいた時でも双眼鏡でマーガレットの脚ばかりを狙ってしまっていたのですが、スカートの中が一番見えたのは、中央前方の席とかではなくて、二階の下手サイド席(中央寄り最前)の時でした。

ちなみに手塚アンのスカートの中は逆サイドの時です。

グラビアアイドルのスカートの中を覗こうとする男子高校生的な気持ちになっていました。そういう気持ちで見詰めていました。本当にそういう事はやめた方がいいと思うのですが、自らを制する事が出来なかったです。反省したいです。

マーガレットが呪いをかけるときの「この犬め」とか「この豚め」と言う今井さんの声色がとても良かったです。私も言われたい。この豚めって言われたい。いや、言われなくてもいいです(?)。そこの音声だけ抜き取って、落ち込んだ時にとかに聞きたいと思いました。

あと、蔵之介さんの膝に座る今井さん。蔵之介さんの脚、長くてスラリとしているのに、あの下半身鍛えまくりの筋肉質な今井さんが座る、しかもあの角度と位置で、って大丈夫だったのでしょうか?!もしかして空気椅子?まあ、とにかく素敵でした。有体に言ってしまうと可愛かったです。かわいい。とてもかわいい。キュート。

 

あと、ファシズムを表すような、友愛とか、天国に送ってやるというところ、Twitterで拝見した「中年男性だらけのフラテニテル」というキャッチーな喩えがぴったりな状況が眼前で展開されているような気がして大変嬉しかったです。憎しみも愛も救済も全てある。観たかったものが観られてとても良かったです。

 

 

了(11月1日)

 

 

 

11/6追記

書き忘れていた事や大阪公演の事の追記です。

 

幕開けのパーティーのシーン、テーブルの上に食べ物が散らばっていて(シャンパンやチョコ?的な?ものとか)、それがだらしなくて享楽的な雰囲気を感じます。

あと鞄の中から出しているの二枚のビニール袋と白いガムテープでした。

今井さんの白シャツがぴったりと首までボタンがしめられているの、下にあの黒いドレスを着ているからではないでしょうか?

長谷川クラレンスが手錠をかけられる前、阿南エドワードが楽しそうにおしゃべりしています。とても親しげにボディタッチをしていました。兄弟を示唆する演出なのでしょうか。

グロスタがアンを口説き落とす時、あるいはバッキンガムが皇太子をあやすときに、ホーンセクションに指示を出すのがとても良い。為政者の権力行使でその場を支配する様子を表しているような気がしました。

阿南エドワード、グロスタとアンがキスをするシーンでのうなり声がすごい。さすが阿南さんだなと思いました。

マーガレットが、グロスタやエリザベスに呪いをかける時の音楽が、儚げで美しい旋律に聞こえました。あの、呪詛を振りまくシーンでの美しい音楽の意味、感覚的に「とにかくこのセンスかっこいいな」と思ったのと同時に、人間の呪詛は時に美しいものだと感じる事が出来ました。

マーガレットがバッキンガムに呪いをかけた時の、バッキンガムの呆然とした様子。彼は己の罪に充分自覚的であり、思い当たっる事があったのでしょうか。だから正当な血筋を持つ子供を殺すと言われた時に、すぐに賛成する事が出来なかったのではないでしょうか。彼は私欲によってグロスタの味方になり彼を玉座へと押し上げましたが、己の心の中に巣くう罪悪に勝つ事が出来なかったのでしょうか。リヴァーズとグレイが監獄に送られる、またはヘイスティングズの処刑が言い渡された時、彼は満面の笑みを浮かべていました。そんな彼でも、罪を重ねて行く事に耐えられなくなったのという事なのでしょうか。

マーガレットのコート、着古して毛玉が出来ているようなダメージ加工がしてありました。ストッキングは開幕後は日に日に厚くなり、最初はあった伝線したような加工もなくなっていました。

クラレンスを殺す場面転換の時、グロスタと河内ケイツビーが顔を見合わせて笑うんですが、そのケイツビーの顔が恐ろしくもあり愛嬌があるような感じもあり。河内さんステキだな……ほんとステキ……。

エドワード四世を囲んでいるシーン、ケイツビーがタバコを吸っていて、ラトクリフが魚肉ソーセージなんですが、そのソーセージを食べきっているの面白いなと思いました。もぐもぐしている口元がなんだか面白カワイイです。

エドワード四世が逝去した後、己の母であるヨーク公夫人がグロスタを罵れば罵る程、彼の身体は歪んでいきました。そして母親が去ると途端に、姿勢良く立ち、バッキンガムと濃厚な方法を交わします。身体を歪ませる、奇形になるのは彼の鎧、精神の歪みを外に表現したものなのでしょうか。

エリザベス、かつらなどをつけずにスキンヘッドのままなの、ディストピアSFの登場人物みたいでとてもステキでした。

ヘイスティングズが空回りする会議のシーン、SEが荒涼とした場所で吹きすさぶ風のようでした。独裁政権による白々しい会議だという表現なのかもしれません。

二幕目が開けてバッキンガムが民衆を扇動してグロスタを王座に就かせる場面、戴冠式の前、鍋の中から白いスープを貪りつつも「万歳」となげやりに言うシーンが印象的でした。彼は人々から支持される事に何の興味もないのだなとよく理解出来ます。

ここから佐々木蔵之介の目が、恐ろしい人形めいていてほんとうに凄かったです。

子供達が殺されて女達が嘆き悲しみ、または喜び祝福されるシーン、やはりマーガレットがエリザベスに言う台詞全てが、過去の己に向けた台詞なんだなと思います。

権力の絶頂にあり美しい子に囲まれたエリザベスの姿はそのまま過去のマーガレットです…マーガレットがエリザベスを呪う時、その言葉は全て自分の過去へ向けたものであり、マーガレットの今現在の姿なんです。マーガレットがエリザベスに「投げ下ろすために高ーーーーく持ち上げられた女」って言ったの、あれは同時に彼女の事なんです。彼女は高く持ち上げられて、落とされたのです。

呪いの歌謡ショーシーン、バッキンガムは馬に乗って現れましたね。彼が最後に「この世の思いを絶って死ね!!!」という悪霊みたいな叫び声、すごくすごく胸に迫ります。でもリチャードは全く怖がらないのです。



大阪公演で感じた事(11月4日(MS)、5日)

 

芸劇よりも見やすかったです。

舞台の奥行きが狭く、役者が全体的に前の方にいたからでしょう。

ですが、洗練された空間という意味ではやはり芸劇の方だったと思います。

この舞台はやはり、奥行きがあり、天井が高い方が全体を観た時、視覚的に美しいと思います。

役者と観客席が近いので、タバコのにおいがすごいしました。あれ本当にタバコだったのですね!

あと、大阪の観客は途中入場するしスマホは鳴るし私語もするしで色々とは不満があるのですが、観客のテンションは東京よりもずっと高かったです。カーテンコールがすごく盛り上がりました。(東京は千秋楽でも大人しめの印象でした)コメディ観る機会があるなら大阪で観たいなと思います。

あと、子役Aチームの歌が格段に上手になっていましたね!かわいらしい声で上手にリズムを取っていました。とてもステキでした。歌謡ショーで子役の子達が蔵之介さんの背中に乗って歌うところ、いつも手に汗握って心の中で「がんばれー!がんばれー!」と応援してしまっています。子役の子たちの歌がかわいいと、ほっとするんです。

 

 

バッキンガムについて

 

なんでバッキンガムがあそこでグロスタに同意できなかったのか、その意味をずっと考えていました。

なんでうんと言ってやらなかったんだろう。何故、罪を重ねる事を恐れてしまったのでしょうか。

グロスタがバッキンガムを求めていた程、バッキンガムはグロスタを求めていなかったのでしょうか。

バッキンガムはグロスタ事を愛していないわけではないけれど、グロスタの孤独に寄り添えるような人ではなかった、恵まれた人だったのではないでしょうか。

バッキンガムは恵まれた人間です。彼にとってグロスタと組む事は私服を肥やす意味が強いじゃないですか。

情はあったのだろうけれど、グロスタが求めていたものとはぜんぜん違ったのです。

バッキンガムの恐れの感情は、マーガレットの呪いを受けた直後、立ちすくんでいた場面から想像できるかもしれません。バッキンガムは、悪人にはなりきれなかったのです。グロスタもバッキンガムも悪の華になんかなりきれなかったのです。

グロスタも、悪を楽しみたかったけれど(そのようにこの劇ははじまりましたが)、ひどく人間的な、柔らかくて脆い、愛情を得たいという感情から自由になれなかった。

ほんとうに愚かでかわいい男達だなと思います。感情移入なんかしないけれど、その愚かさが愛おしいですね。

 

2017.11.6 了






 

 

 

 

 

子午線の祀り2017感想(千穐楽分まで追記)

 

【7/17までの、全体的な感想】

世田谷パブリックシアターで上演中の「子午線の祀り」(2017/7/1、3、7、8、16、17)を観た、個人的な感想です。本日迄に6回観ました。残り2回(22、23(楽))を前に、これまでの感想を書いておきたいと思いました。

 

子午線の祀りは、日本語の美しさやキャストの美しい声に耽溺出来る舞台でした。舞台装置、音楽、照明の静謐な美しさは、壇ノ浦の合戦を描きながら宇宙規模ともいえる、スケールの大きな物語への没入をスムーズに誘います。

 

幕が上がる時には、まるで現実と虚構が混ざり合う瞬間に立ち会っているかのような印象を受けました。

開演時間の少し前、場内がざわめき、着席していない観客が何人もいる中、何の前触れもなく、若村さんが登場します。黒く光沢のある塗料で塗られて鏡面のようになった円形の地面に佇む、黒いワンピースを着た若村さん(語部、或は祀りを進行する巫女)を中心に、劇場スタッフと同じ黒い洋服に身を包んだキャストが、舞台袖から、客席通路を通って、次々と舞台上に集まります。黒服のキャストは、親子連れであったり、カップルであったりするかのような、我々と何ら変わりない様子で、私達の横を通り過ぎて舞台へと上がって行きます。やがて照明が落ちて濡れたような黒があたり一面を覆い尽くし、仄かに揺れる蝋燭の灯と、舞台上のキャストの肌が青白く残る中、野村萬斎(知盛)のナレーションがおごそかに始まり、子午線を表現した一筋の細い光が伸びてきます。光はやがて広がり、鏡面のようになった円の中心に月が浮かび上がります。(今井朋彦さんが、長髪オールバックでゆったりと身体を階段に預けて座っている様子がとても素敵でした。暗い中の今井さん、肌が白い、腕が細い、顔が細い。柔らかい。ローソクの灯りにぐっと身を寄せたり、空をぎゅっと見上げたりの動きが細かいのも素敵でした。ありがとうございます)

これらはパンフレットやポストトーク等で野村萬斎さんが語っていた、「現代を生きる我々(キャスト。観客)」が「過去の壇ノ浦までタイムスリップする」という導入 としてとてもスムーズだと思いました。現実と虚構が混ざり合うような、静かで厳かな様子は、今から始まる物語へと没入する装置となるような気がします。

物語は、波や時間の軸を表現した可動式の幕(ブレヒト幕)(台の淵が青く光る)(幕の上が上段の舞台となっている)を巧みに使用して進行して行きます。寄せては返す波のような幕は、つめたい宇宙に浮かぶちっぽけな人間達の魂が、波間に消えて行くような儚さすら感じさせてくれます。

萬斎さん曰く「グーグルマップにピンが刺さるような」演出によって知盛がポップアップします。冒頭の、息子が殺されるシーンは劇中劇としてより寓話的な様相。逃げ延びた知盛が舞台下(群衆の元)に降りて来て自問自答するシーン、群衆がセリフを言う人物の方向を向く、動く、っていう、その場の作り方に迫力があった。群読は「息で合わせた」というだけあってブレる事なく、まるで音楽のように迫力のある音が作られていました。(冒頭の群読で今井さんは中央だったから場所によってはお顔が見えなくて私は悲しかったです。特に真正面からベンチシートで観た回は本当に見えなくて涙を飲みました。でも袖を涙で濡らす仕草がとても好きでした。ありがとうございます)

知盛の後ろから、着物を着た若村さんが影身となって現れます。稼働幕(台)が海の階段へと繋がって、奥の方に海の青い波紋が広がります。星空のライトの手前でシースルー幕の下部がゆらゆらと揺れているのがとても綺麗でした。 また、この台の上にも半円が描かれています。台が移動して下の半円が隠れる時も、上から見下ろすと円が損なわれず、知盛の概念の世界が表現されていました。

影身との会話(「この一大事の問いかけを」っていう表現すごく素敵。あと、萬斎さんの「おまえは立っていたなぁ」の「なぁ」の発音が好き。あと「愚かなやつ」っていう台詞もすごくセクシーだなと思いました)からの民部登場時の「民部でございます」という萬斎さんのモノマネが何度観ても面白い。あのシリアスなシーンにあのモノマネはずるい。笑ってしまいます。好きです。知盛に邪魔扱いされた四国の有力豪族の民部は、狡猾な部分があるかもしれないけれど、それでも無骨で愚直なイメージを受けます。三種の神器を都に返す事を阻止しようと説得する場面での、知盛に対する愛着を吐露する台詞は黒ばかりが多くを占める世界に色が付いたかのように、煌めいてみえました。

その後の、前半の平家で一番好きな、綺麗なシーン。知盛は、観念の世界である鏡面になった円の中で苦悩しています。影身への想いを抱き、巫女達と影身の踊りを思い出している美しい場面からやがて平家と源氏の争いに苦しめられる民の、地の底から這い上るような、不協和音の群読が始まります。赤いライトの中でのたうつ、白い衣装の知盛がとても美しいなと思いました。そして、死者となった、冷たい身体となった影身が登場します。血の気の失せた美貌と声は、まさにこの世のものではない、と感じました。

民部によって、影身の死を知らされてから評定へと向かう時にかかる音楽が、とても好き。壮大な滅亡へと向かう情緒と疾走感があって、綺麗で涙が出てきます。評定での、知盛が怒りと絶望に震えながら祐筆に「ひとつ!」と、書かせるシーンは凄く良い。知盛のシーンで一番好き。 絶望的な状況がブレヒト幕によって遠ざかり暗くなって行く様は、まるで波間に消えて行くような演出で、すごく嵌っているなという印象を受けました。(あと、能登の守の顔が好きです。能登のクールな感じかっこいいなと思いました)

平家のターンが終わると、いよいよ源氏側の登場です。暗い平家とは対照的に、昼のような照明が当たります。義経は、小柄できびきびとよく動き、高い声でまくしたてます。衣装に廻らされた彩度の高い赤の紐(縄?)が、象徴的だなと思いました。登場時の、弁慶を中心とした群読にはパワーがあり、圧倒されました。平家との対比がとてもわかりやすかったです。弁慶はすごく背が高くて声がとても低くてかっこよくて、義経との対格差、声の差が出ていました。才気ほとばしり過ぎるが故に、いたるところに敵を作ってしまう主をお守りする従者感がすごく良かったです。義経が危うげなところでフォローに入ろうとする弁慶がとても良かったです。母性を感じました。

そして景時です。髪の毛縛っていて髭が生えているビジュアルがすごく素敵ですね。紫の陣羽織と金の襟がおしゃれですし、襟に朱で扇の絵がついていたのも可愛かったです。今井さんのドスがきいていながらもどこか柔らかい、ヒステリックで嫌味があり神経質そうなのが伝わるけれど耳に心地よい、詩的な声もセリフも良かったです。逆櫓を説明して去り際の「わかったかぁ!」って言うの本当に心ときめき申し上げました。ありがとうございます。義経とは、鎌倉殿を取り合っているような雰囲気です。義経とソリが合わなさそうな感じがとてもわかりやすかったです。

御家人に取立てる件に関して、義経を諌める弁慶がとても良かったです。それに対して、血縁であり主である頼朝に認められたくて仕方が無い義経の、妄執めいた主張が悲しくて切なくて熱かったですね。知盛が追詰められているのと同じように、義経も追詰められている、すごくわかりました。あの状況下では、必ず勝たなければならないのですね。義経に同情的になった後、景時が「御曹司!おんぞうし!」と煽りながら苦言を言いまくり、義経の部下達を軽んじるシーンは、嫌な奴感がすごくてとても素敵でした。義経に去れと言われて憤然と歩く様がめちゃくちゃ可愛いなと思いました。スマートな人が憤然と歩くってとても可愛いと思いませんか?私は思います。この時義経の傍を通って退場するのですが、日によって「義経の横を早足で通りすぎる」「立ち止まって義経を思い切り睨みつける」「少し立ち止まってキッと睨みつける」などのバリエーションがあったのですが、これは日替わりなのでしょうか。全部観たいです。

三浦の介殿が現れてから、一気に話が動きます。三浦の介殿はコミカルな老将として登場しますが、義経勢と景時勢が小競り合いになりかけた時にすごくかっこよく諌めます。飄々とした感じがたまらなく好きでした。この小競り合いのシーン、最初の頃は景時の息子(景季)が景時を手で制してから前に出ていたのですが、最近のは手で制さずに息子がすっと景時の前に出るのですね。どちらにしても、景時の息子の、父親を守る感がとても立派で素敵だなと思いました。あと、この時の景時の衣装がとても好きです。エメラルドグリーンの太刀と短刀が本当にお洒落ですし、水色のフワフワした軍師風の袖もすごく都会的だし、何よりも陣羽織の上から腰に巻いた黒い帯がサッシュベルトみたいに見えました。流行感度がとても高いですね。大好きです。

そして義経が待ちに待った、五郎の登場です。ベンチシートで観た時思ったのですが、五郎の顔すごく好みです。透明感のある美形の方ですね。応援しています。五郎が出て来て大喜びの義経。ある種の無邪気さが垣間見えます。それにしても義経の「見せろ見せろぉ!」とか「武蔵坊武蔵坊!」(萬斎さんも真似してた)とかすごく可愛いですよね。私はそこに、義経の苛烈さの中にある無垢を感じるのです。

五郎が言った「よくぞこの日を〜」と戦の日取りを選んだ事を褒めた場面、義経も動揺していますが景時さんも動揺しているのがすごく可愛いなと思いました。でもこれ、最初の頃は驚いてなかったような気がするのですが、どうだったでしょう?先日観た時、すごく驚いていたので私も驚きました。そういえば義経達が退場する時に景時は息子達に目配せしていたのですが、先日観た時には目配せなしになっていましたね。細かい動きが色々と変化しているのだなぁ、と感じました。

うってかわって平家のシーンですが、こちらは本当に沈痛です。知盛が兄や侍達を鼓舞しながらも苦しんでいるのだなと感じられるシーンが多かったです。兄はこの期に及んで頼りないし、民部は味方なんだか裏切るんだかわからないし、本当の心をわかってくれるのは概念の中の影身だけだというのは、哀れを誘います。民部に言う「俺は勝つ!」というセリフが本当に空虚だなと思いました。でも、私はここで思ったのですよ。村田さんの民部は、本当に知盛の事を裏切るつもりなんてなかったんだなぁ、と。平家の勝ちは信じてなんかいなかったのだけれど、民部は知盛を裏切って源氏に付くつもりはなかったのではないかなぁ、って。でも知盛には信じてもらえていなかったのは悲しいですね。

沈痛な平家のシーンが終わると、いよいよ壇ノ浦の合戦がはじまります。降りた幕が上がると、奥の階段まで使用した、奥行きのあるステージが登場します。ステージ上いっぱいに並んだ役者達と、彼等から発せられる原文での群読はとても壮観です。まさに天下分け目の合戦として、十分なスペクタクルが眼前に広がります。

ここからの展開はとてもアップテンポです。シーンは目まぐるしく変化します。

ここでの景時は舳先に片足をかけながらかっこいいポーズをとっていてくれているのでじっと見詰める事が出来ました。そこからの下種侍っぷりったらなかったです。本当に最低だなと思いました。とても素敵です。義経の命令を無視して先駆けの功名手柄を狙わねば気が済まぬのが最高でした。スケール感が小さい。自らの名前を宣言し、熊手を打ちかけ打ち掛けの時の横顔の角度が、本当にとてもとても美しいなと思いました。ありがとうございました。「その日の功名の一の筆にぞつきにける」の時に手首を反る仕草が好きです。ありがとうございました。

合戦中の、弁慶が数珠さらさらと〜のところの数珠がさらさら鳴っているシーン、別に笑う所ではないのですがなんだユーモラスに見えてしまいました。海の戦の法に背いて、水主梶取を殺してしまうところ、私としては「そうだね、まあ仕方ないよね、戦争だものな」と、弁慶と同じ気持ちになりました。義経は苛烈な男ですね。この苛烈さが、彼を天才たらしめて身を滅ぼさせた部分なのだなと思いました。ああするしか無かったから、義経は愛おしくて仕方ないのです。

ここからは、更に滅亡の色が濃くなって行きます。黄昏の照明の中で滅んで行く平家が、スピーディに、ダイナミックに描かれて行きます。

宗盛の「いるかだ」シーン、最初いるかだって言っているのがわからなくて何かの呪文かと思いました。美しくもドラマチックで、悲しいシーンだなと感じます。水主達がバタバタと倒れて行く動きが好きです。階段の上から転がって大丈夫!?心配!みたいな気持ちにもなります。くったりとしている彼女達を乗せた階段があんなにぶんぶん振り回されて落ちない?!大丈夫?!って毎回思います。どうか最後まで怪我などありませんように!

そして民部。小賢しく愚かな男。でも、でも、彼はきっと知盛と運命を共にするつもりもあったのでしょう。平家の勝利は信じていなかったけれど、知盛を裏切るつもりなんかなかったはずだとやはり思うのです。だからあのセリフなのでしょう。でも、抗えなかったんですね。人間って弱いから。心はぐれてしまったから。民部の、知盛へ抱いていた愛憎をすごく感じました。一緒に死んであげられなかった民部は、今後何処に行き着くのでしょう。

味方の総崩れを知った知盛は、三種の神器、幼い帝、母親、女房達の元へと向かいます。 そして二位の方が帝を抱いて三種の神器と共に沈むのを観ます。知盛の目の前で、彼の家が滅ぶの観ています。無力な女達は自害の為に海へと身を捨てます。自害出来ずに捕まってしまった女達の悲劇的な行方を予感させるシーンでもありました。二位の方が自害する時に倒れ込む場所、プレでは円形の中央だったのですが、それ以降は少し後方になっていました。中央だと幕がかかりきらずに、二位の方自らが幕へと動いて入って行く様が見えてしまって気になっていたので、変更されて良かったなと思いました。 

そしてこんなに悲劇的なシーンが続くのに一番の笑いどころである宗盛親子の水泳シーン。宗盛はこのシリアスの劇中で気の抜きどころでもありました。水泳めっちゃ上手で救われました。あと、この役者さんは本当の親子でもあるのですね。驚きました。確かに顔、そっくりですよね!

そして最期、クールな面持ちの能登の守が大暴れしています。薙刀を振り回し、知盛に「今更に人を殺していとう罪なつくり給いそ(これ以上無駄な殺しはやめろ)(意訳)」と言われるまで殺戮の限りを尽くします。かっこいい!両腕に敵を抱えて入水する最期もかっこよかったです。佇んでいるシーンではあんなにクールなのに暴れん坊なんですね。かっこいいです。悲しい最期ですが、でも、かっこいいです。

そして最期の最期、いよいよ知盛が自害する場面です。身体は海底に沈み「影身よ!」という叫び声は宙へ放たれ、魂は空へと昇って行く様が厳かな暗闇と青白い光の中で表現されていました。このシーンは、パンフレットでは「スペース・ラブだ」と萬斎さんがおっしゃっていましたが、生きているうちはお互いの愛を確かめ合う事も無かった二人が、宇宙で結ばれたのだなと思います。

ポストトークでの「月(宇宙)が地球上で作用するのが、潮」という言葉を聞いて、私の中では全て腑に落ちた感じがしました。子午線の祀りというのは、宇宙によって齎される潮の満ち引き、そして寄せては返す波間に浮かんでは潰れて行く泡のような人間の鎮魂を描いていたのだな、と。北斗は、星々は、泡のように儚く消えて行く人間を何の感情も持たずに、つめたく光り輝きながら見詰めているのです。私達は、どんなに愛するものがあっても、どんなに心強くあろうとしても、魂の底からは心安らかにはなれません。思うに魂の底から安息が訪れる時が来るのだとしたら、己が儚き泡に過ぎぬという無常を心底自覚し納得した時で、きっとそこには人間の中にある様々な想いが昇華される鎮魂があるのだと思うのです。広大で無機質な宇宙は、儚きものを隔てなく抱いてくれていると、思えるからです。

 

追記

舞台について、特に上の方から見ると、ライティングによっては鏡面となった円上に人物や照明が、実に効果的に反射しているのがわかりました。また、照明の陰影で実に色々な波紋を見せてくれている。緩やかな波だったり、渦巻きだったり。奥行のある階段状のセットはラストの方で広大な宇宙、空の下の広がる海に見えました。星々が瞬く海は何処迄も広がっているように感じられました。

思いつくままに、とりとめもなく書いてしまいましたが、今回大きな発見は、野村萬斎さんって華奢だなぁ!あんなに華奢なのにあの太い声凄いなぁ!太い声だけれど張っている風ではないのに、すごく声が通るのはなんでだろう!すごいなぁ!という事でした。やっぱり野村萬斎さんは凄いんだな!知らなかったです。知らなかった事を知れて良かったです。

(それにしてもカーテンコールなのですが、今井朋彦さん、プレやプレ三日目はすごく険しい顔だったのですが17日は本当に素敵に笑っていらして私はとても嬉しかったです。ありがとうございます)

(あと、パンフレットの今井朋彦さん稽古写真、無精髭が本当に本当にかっこよくて男らしくて最高でした。本当に本当にありがとうございました)

 

2017.7.19 了 

誤字脱字はありますがニュアンス的なやつで受け止めて頂けたらと思います。

観劇初心者の感想です。子午線の祀りの単行本は手元にあるのですがあまり読み込めていないまま書いています。教養不足による解釈違いがあると思いますが寛容にお願いします。

この段階でネタバレ回避したい人もいないだろうという事で、ネタバレ等を含んだ内容とさせていただきました。

 

 

【7/22 追記分です】 

劇場に到着して、ロビー階段下の椅子に座ってご飯を食べていたら、すぐそばにキャストの方が座って吃驚したんですよ。イヤホンを外して顔を上げると、ロビーにキャストの方が沢山いらしてて、軽くパニックになりつつもすごくキョロキョロしてしまいました。貴重な体験、本当にありがとうございました。私的には現実と虚構がめちゃくちゃ混ざり合っていました。成河さんの顔はピカピカツルツルしていましたし、村田さんはとても穏やかな声をしていましたし、さぶろうさんは快活なおじさまでしたし、しろうさんは間近で見るとでかいなぁって思いました。あとやっぱりごろうさんは美形ですね。すごい、美形。めちゃくちゃ美形だなと思いました。残念ながら推し俳優様を直接見る事は叶わなかったですが、明日(今日)リベンジしたいなと思います。一目見る事が出来ますように。

それにしても、こんなに楽しかった子午線の祀りのある日々が終わってしまうなんて、消費者としては、今後襲い来るはずの子午線の祀りロスが心配でなりません。

追記分は、ここが変化したのだなとなんとなく気が付いたり、付け足したい事を書きたいと思います。

開演の演出、観客が全員席についてから始まる感じになったので、舞台上にキャストがどんどん上がって行きました。先日までの、現実と虚構がゆっくりと溶け合って行く情緒は薄くなっていますが、これは進行の都合なのでしょうか(?)。テンポはすごく良かったです。

萬斎さん、先週と比べて話し方?台詞の言い方?がすこしかわっているように感じました。以前を古典芸能的(?)な雰囲気だとすれば、今日聴こえて来たのはより現代劇的(?)なイメージです。専門的な事はわからないのですが、語尾のイントネーションを変更したり言葉の強弱を更に明確にした事により、知盛がより肉感的になったように私は感じられました。今迄はどちらかというと綺麗な人形に人間の魂が入っている(?)ようなイメージでしたが、昨日はより「人間そのもの」みたいな。(てんで見当違いかもしれませんが…!)

烏帽子子、重国が手紙を読み上げるシーン、歌を読み上げるみたいになっていましたね。とてもすてきだと思いました。

景時さんについて。一幕目で、陣羽織の下にあのサッシュベルトみたいな黒い帯が……!二幕の時と違い、陣羽織の下に巻かれているので、なんかあの太い帯の大きな結び目が陣羽織の間からボコッと出て来てリボンみたいになっていて、ああ、嫌味でオシャレで小憎らしい軍師感が出ていてかわいいなぁ、かわいい……と思いました。ありがとうございました。二幕の、義経に帰れと言われて憤然と退場するシーン、今回は「早足で義経の前まで歩いて行き、義経を眺めに睨み付け、足音を踏み鳴らしてゆっくりと舞台袖へ移動」のバージョンでした。素敵でした。あと、息子に目配せ復活していましたね。私、景時さんの目配せ好きです。ありがとうございます。

義経、最初はあまりの高く激しい声に驚いたりしていたのですが、これは私が慣れたせいなのかもしれませんが、その時に感じた違和感めいたものがすっかりなくなっていて、私はあの苛烈で寂しい義経が、より好きになってしまいました。私が感情移入しているせいなのかもしれませんが、本当に苦しんでいるし寂しい人感が、日に日に増しているように思いました。

そしてなによりも群読が、見るたび見るたびに良くなっているように思えます。特に壇ノ浦の合戦の原文での群読は、今迄で一番迫力がありました。このシーンは七回目のはずなのに、まるではじめて観た時のようなインパクトがあるのです。キャストの方達から、すごい圧を感じるのです。

それから民部のシーンも、何度見ても泣いてしまいそうになります。日に日に悲哀が増して行ってる印象を受けます。民部は本当に、愛おしく思えてなりません。

一幕の磯でのシーンや、一番最後、影身が登場しているシーンの、床に広がる、海の底のようは緑がかった青白い波紋の照明が好きです。

ああ、今日もすごいものを見せて頂きました。本当に明日で最後なのですか?子午線の祀りロスが激しいです。

 

2017.7.23 了 

 

 

 

【7/23(千穐楽) 追記分です】 

千穐楽は楽しいサプライズが沢山ありました。入場したロビーのパンフレット売り場では村田さんが「パンフレットいかがですか! 俺で良ければ萬斎のサインを書きますよ」と言ったり、それを見ていた別の役者さんが「まじかよ」と何度も言っていたり、ロビー~上の階を巡回するように歩いてる途中の役者さんは観客に「いらっしゃいませ」とか「こんにちわ」などと挨拶してくれたり、かと思えば「なんだか(私達)ピグミンみたいだね」とつぶやいていたり、開演前には真っ黒なサングラスをかけた黒服の萬斎さんがドーン!と現れたりしました。推し俳優様を見る事は叶わなかったのですがとてもエキサイティングで興奮しました。

今日も、気が付いた事をなんとなく書いて行きたいと思います。

私は他の舞台をさほど観ているわけではないので詳しくないのですが、この前から「なんだかずーっと舞台の端からスモークが出続けているな」って思っていたのですよ。それで今日思ったのは、スポットライト?が役者に当たった時に、その光が天井からすっと降りて来ているのが可視化されている、その様がとてもきれいなのだなと思いました。今日は斜め気味の位置から見ていたのもあって、光の屈折の加減だと思うのですがこの光の筋がとてもよく見えました。天井付近のライト周辺が、まるでミルキーウェイのようにけぶっていて、それがとても綺麗だと思いました。

民部のキメ台詞「民部でございます」。これを知盛が真似する事についてですが、昨日今日とロビーで村田さんの話し方を聴いて、あるいは劇中での民部の台詞を聴いていて思ったのですが、これって村田さんも相当萬斎さんが真似する「民部でごさいます」を真似しているんだなと感じました。日増しにそっくりになっていったのが面白かったです。

民部が知盛の過去を語るとても美しいシーン、すごく胸に迫りました。泣きながら、知盛が眩しくて心奪われた事を語るじゃないですか。今迄そんな事はなかったのですが、私もつられて泣きそうになりました。とても素晴らしかった。演技の事はよくわからないのですが、とにかくすごい演技でした。

影身、いつも美しいのですが今日は美しいのは当然としてある種の凛々しさを感じました。私の中にあった感性のフィルターがそうさせたのかもしれませんが。影身からは暖かさとは別の、心安らかになる冷たい抱擁、みたいなものを感じるのです。星々と、黒と、青白い照明のせいでしょうか。青白い腕に知盛が抱かれるイメージがとても美しいと思いました。

烏帽子子が手紙を読むシーン、千穐楽は普通に読み上げていましたね。違和感があったのでしょうか。私はあの歌うように手紙を読むのも好きでした。

三郎が船酔いみたいになっている場面、景時の息子たちが忌み嫌うような視線を投げかけてすれ違うのですね。セットを配置してからのこの動線、とても巧みだなと感じます。この舞台では随所にこのような動線が見て取れて、そのシステマチックな所がテンポの良い舞台を作り出しているのだなと感じました。

今日の景時さん。やっぱり一幕から陣羽織の下にあの太い帯ですね。彼は身体が薄いから、あの黒くて太い帯だととてもとてもリボン感があるのですよ。何故、知盛と同じように陣羽織の上からじゃなかったのでしょうか。かわいいから良いのですが。かわいいから全然良いのですが。あれがリボンみたいに見えてしまって仕方がないのです。あと今日は斜め気味の位置から見ていたのですが、私は今井さんの向かって右側から見た横顔がとても綺麗だと思っているので、好きな角度から見つめられてとても満足でした。ありがとうございました。義経に帰れと言われるシーン、今日は「帰りおれ!」と言われたあとに怒りを込めて息を呑み、キッと睨みつけてからスタスタと歩いて行くバージョンでしたね。とても素敵でした。三浦の介どの関連のシーンではコミカルな場に馴染んでいました。義経に苦言を呈するシーンや、煽るシーン、或いは出し抜くシーンでは存在感がありつつも安定感があってとても素敵だなと思いました。ありがとうございました。

三浦の介どの、今日はより飄々としている感じがしました。義経がめちゃくちゃイライラと貧乏ゆすりしている時でもどこ吹く風な雰囲気とか、義経勢と景時勢が喧嘩になった時に扇でペシーン!と叩く所(今日はすごい勢いでたたいてましたね!)もコミカルで楽しかったです。でも飄々とした中にもツワモノな雰囲気がすごく出ていて、語らずとも、歴戦の将を感じさせてもらえました。

壇ノ浦の合戦シーンはやはりここだけ何度も見たい程盛り上がりました。回を重ねるごとに完成度が上がっているのが、演劇の事がわからない私でも感じられる気がします。まず、すごく声が通る、揃う、明瞭、心に届く。圧倒的な迫力がありました。目まぐるしく動く場面転換もきびきびとしていてひとつの綻びもなく完璧に進みました。そう感じます。

民部が裏切ってしまうシーン、あの船の場所をうまく指させない場面ですが、私の近くの席の方が笑っていたんです。私は涙ながらに見ていたので、これにはすごく驚きました。「民部でございます」という笑いどころのシーンの印象があったからでしょうか。あれは、裏切ろうと思ったものの知盛への思慕が捨てきれずに指させない悲しいシーンだと思うのですが。でも、でも、です。笑っている人を見て、少し別の見方をしてみました。民部の、あの選択は、やはり人間の滑稽を煮詰めたような、綺麗ごとを排除した、業の深い場面を描いています。だから観客は、民部へ憐憫の情などを抱かずに、滑稽な奴だと笑うのが良いのかもしれないな、とも思えたのです。私は笑えませんが、滑稽だと笑ってしまう気持ちもわかるような気がします。もしかして民部だって滑稽だなと思っていたのかもしれません。

それからの、平家が滅んで行くシーンは千穐楽だけあって凄絶に見えました。ですが、宗盛親子の水泳シーンはやはり面白かったです。三郎につかまってしまうシーン、いつも以上にコミカルな動きをしていましたね。ちょっと遊びがあったような気がします。気のせいですかね?特に息子の動きが。

最後の、知盛が自害するシーン。眼前で己の家が滅ぶのを見つめた後の「見るべき程の事は見つ」という台詞。この台詞をとても、とても静かに言う知盛を見ながら、私も「ああ、この舞台はこれで終わってしまうんだな」と悲しくなりました。子午線の祀りロスですね。うん。子午線の祀りのおかげで、この一か月弱、とても楽しく過ごせました。ありがとうございました。

私は恥ずかしながら浅学なので、今迄の人生で、演劇はもちろん、映画でも、ドラマでも、コミックでも、小説でも、ここまで繰り返し味わった物語がないんです。人生ではじめて8回程繰り返して観た舞台が、この子午線の祀りという、野村萬斎さんがアップデートを重ねた素晴らしい舞台で良かったと思います。つまらない舞台ならこんなに満ち足りた気持ちにはなっていなかった。本当にありがとうございました。

 

2017.7.23 p.m. 了